自分ってHSP?それともアダルトチルドレン?自分がわからなくなっちゃった人へ

どうも、つむりです(^^)/

このブログを読んでくれている方の中には
HSPアダルトチルドレンという方も
いるのではないでしょうか。

この記事では
HSPやアダルトチルドレン(AC)について
詳しく解説はしません。

HSPとかACがどういうものなのか
詳しく知りたいという方は

検索すればいろんな人が
丁寧に説明してくれているので
ぜひそちらを見てください。

この記事では、

僕なりのHSPやACに対する考え
これからどう生きていくかという
答えに辿り着くまでの経緯について

お話ししていきたいと思います。

HSPやアダルトチルドレンという言葉の存在に救われた。

メンタルの弱さや
人間関係のしんどさ。

周りと同じように
上手く立ち回れないこと。

そんな自分に疑問を
持ったのがきっかけで

ある日、自分の性格や特徴を
そのままネットで検索してみました。

するとそこには聞き慣れない
「HSP」という言葉が。

ネット上の診断テストを受けてみると、

「これ、まさに自分のことじゃん!」

ってなったんですよね。

その関連でアダルトチルドレン
という言葉にも出会いました。

最初は自分には
無関係な言葉だと思っていたけど、

よくよく調べてみると
当てはまる特徴がちらほら。

実際、僕の母親は
仕事から帰ってくると

大量のお酒
飲み散らかし、

尽きることのない愚痴
延々と吐き出してくる。

時にはヒステリックになって
物を投げつけたりしてくる毎日。

そんな小学時代を送ってきました。

少し話がそれましたが、
HSPやACに共通して言えるのは

大人になっても
生きづらさを感じやすい

ということ。

HSPという言葉を知る前は
特にその傾向が顕著でした。

例えば、仕事の電話応対。

「受け答えに失敗したらどうしよう…」

「周りから変な風に思われてないかな…?」

そんな思考が頭を駆け巡って
心臓のバクバクが止まらない。

数をこなしても慣れるどころか
失敗経験が積み重なるだけ。

人と話していても、
相手の怒らせないようにと

表情や感情を先読みしすぎて
疲れ果てグッタリしてしまう。

「もっと自分の意見を言ってごらん」
と言われることもあったけど、

「そもそも自分の意見って何?」
って感じでしたからね。

自己表現を当たり前のようにできる人が
とにかく羨ましかったんです。

「あんな風に生きていけたら
きっとラクなんだろうな…」

と、まるで別世界の話のようにぼんやり。

自分はこの世界で1人ぼっちでした。

自分を犠牲にしてまで
相手の期待に応えないと
認めてもらえないんじゃないか。

本気でそう思っていましたから。

とにかく相手に嫌われるのが
怖くて仕方なかった
んですよね。

そんな目に見えない恐怖心と
24時間休む間もなく戦っていました。

そんな毎日が続く中、
HSPという言葉の存在を知った日。

目の前の濃い霧がパッと晴れて
視界が一気に開けた感覚がしたんです。

今まで自分が散々悩んでいたのは
これが原因だったのか!って。

これまで20年以上もの間、
心臓に突き刺さっていた氷のナイフが

ようやくじわじわ溶けていったような
あの感覚は今でも忘れません。

HSPやACでキーワード検索してみると
自分と同じように悩んでいる人の多いこと。

分かり合える人がこんなにいたなんて…

という感動すら覚えました。

文字のやりとりだけだったけど
気持ちは痛いくらい通じ合えたし

何より自分は1人じゃない
って思えることが心強かった。

でもそんなある日のこと。

自分って本当に
HSPやACなんだろうか?

と分からなくなることがありました。

他のHSPやACの人を見ていると
自分はもしかして違うのかも…と。

HSPやACの中にはもっと
大変な思いをしている人がいるし、

自分は単にワガママを
言っているだけなんじゃないか?

と。

焦りにも似た感情が渦巻き、

「もしHSPやACじゃなかったら
 自分は一体何者なんだ??」

これまでHSPやACって言い張れたから
それを理由に甘えていられたのに

そうでなくなってしまったら
ただの怠け者になってしまう…

そんな気がして
怖くなってしまったんです。

「HSPなら仕方ないよね」
「ACなら仕方ないよね」

って言い訳できなくなることが
怖くてたまらなかったのだと思います。

自分探しの結果、出た答えはシンプルだった

それから数日間、考え込んだ結果・・・

一周まわって
どうでもよくなりました(笑)

だってよく考えてみたら、

HSPに分類されようが、
ACに分類されようが、

自分という人間の本質
なーんにも変わらないんですから。

あくまでも自分は自分。

そんな風に
心の底から思えたのです。

ただ、ここで
勘違いしてほしくないのは

決してHSPやACを
否定したいわけでも

そんな分類が無意味だと
言いたいわけじゃないということ。

少なくとも僕自身、
HSPやACという言葉の存在に
救われた1人。

そもそもHSPやACという言葉は
生きづらさという残酷な現実を
突きつけるためじゃないですよね。

僕はむしろ、

HSPやACという言葉があったおかげで
自分とより深く向き合うことができた。

そして、

じゃあそんな自分がこの先、
一体どうすれば生きやすくなるのか

という道筋を見いだせたのは、
HSPやACという分類のおかげなんです。

病気も同じですよね。

いろんな症状に病名がついているのは決して
患者を不安にさせるためじゃない。

原因を正しく知って
適切な対処法を取れるようにする。

そのために、
病気に名前が付いているんです。

自分のことをきちんと知って
原因が明確になれば
それに合わせた対策や行動が取れる。

大事なのは、

自分が一体何者なのか?

にとらわれることじゃなくて、

いかに自分という人間と向き合い
この先どうやって生きていくか?

これを考え続けることだと思うんです。

HSPやACと出会えたイミ

結局のところ
僕は本当にHSPやACなのかは
よくわかりません。

というか、今となっては
あまり気にしていません。

そもそも白黒つけられるもの
じゃないと思うので。

だけど、少なくとも言えるのは

HSPやACという言葉と出会えたことが
自分と向き合うきっかけになったということ。

これは今の生きやすい自分に変わるために
必要なプロセスだったと強く感じてます。

世の中にはHSPで苦しんでいる人がいる。
世の中にはACで苦しんでいる人もいる。

そんな風に視野を広げてみたうえで、

じゃあ果たして
自分が感じている苦しさは
どんなことなんだろう?って。

そんなことを考えているうちに
自分のことがだんだん
分かってくるようになり

取るべき対処法や行動
見えてきたりするんです。

さっき、

HSPかACかなんて
一周まわってどうでもよくなった

と言ったのはそういう意味です。

仮に本当にHSPやACだったとして、
それがわかった途端に

人生が良い方向に進んでいくなんて
現実的にはあり得ないんですよね。

HSPもACもまだまだ
社会では生きづらい場面が多い。

それは確かに事実かもしれません。

でも、大事なのはその先なんです。

✓生きづらいのはなぜなのか?

何がどう変われば生きやすくなるのか?

✓自分にとっての生きやすさって何なのか?

こういったことを考えたうえで、最終的に

『自分が一番生きやすい行動を取れるかどうか』

これに尽きると思います。

「どうせHSPだから生きづらくて当然

「毒親の家庭に生まれた時点で不幸は決まってる

「自分はもともと恵まれていないんだ」

その思う人の気持ちも分かります。

ただ、その先を見なければ
その不幸の渦はますます
勢いを増していくだけです

ずーっと死ぬまで
辛く苦しい毎日が続くだけ
ってことになってしまいます。

だけど、今のあなたが
当時の僕のように

HSPかACか悩んでいたり
自分らしさが分からないとしても
まったく心配はいりません。

僕も同じ道を辿ってきたので。

自分を知ったうえで
それに合った対策や行動が取れれば

たいていのことは
乗り越えられるものですよ。

一緒に頑張っていきましょうね(^^)/

P.S.

最後まで読んでいただき
ありがとうございます!

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