「豆腐メンタル」と馬鹿にされ人生に絶望していた僕が、生きづらさを克服し「心穏やかで不自由のない日常」を叶えるまで

『生きづらさ改善ラボ』へようこそ!

33歳、静岡在住のつむりです。

ふだんは企業の化学者として
研究職をしています!

頭を使ったりフラスコを振ったり
時には人前でプレゼンをしたりと
プレッシャーも多い仕事ですが、

「無理しすぎない」
「頑張りすぎない」

心の余裕を持てるようになってから
仕事でもプライベートでも
“楽しい”と思えることが増えました。

でもそれまでは…

100のうち1つでも失敗すると
「自分はダメだ」と落ち込む
根っからのネガティブ気質。

周りの目ばかり気にして
心はすり減っていました。

学生の頃は
クラスになじめなくて
一人ぼっちの感覚。

恥ずかしくて惨めな気持ちは
今でも脳裏に焼き付いています。

自分に自信がないから
恋愛にも臆病になり
うまくいかない。

なんとか社会人になったけど、
「誰とでもうまくやる」
立ち回りができない不器用な性格。

他の人にできることが
どうして自分だけできないのか…

せめて”人並み”に生きられたら
どれだけ幸せなことか…

「自分に価値なんてない」
「辛いことばかり」
「生きてて何が楽しい…?」

自分を責めてばかりの
生きづらい毎日を送っていましたが、

今ではそんな風に
思い悩むこともなくなりました。

これから書くのは、

「豆腐メンタル」と呼ばれ
心も体も疲弊していた僕が、

自分の人生に
楽しさや快適さを見出だせるように
なるまでの話。

知り合いには言えない
黒歴史ばかりなので
少し恥ずかしいですが

生きづらさに悩む
あなたの参考になればいいな
と思って書きました。

ドン底の人生からの脱却ステップ
当時の心情も交えて綴っているので
少し長いですが、

今のあなたが生きづらさを
抜け出すためのヒント
見つかるはずです。

心穏やかで幸せな人生
諦めたくない方だけ、
ぜひご覧ください(o^^o)

母の言葉の暴力が作った、僕の原点。

僕は幼少期の頃から
笑顔を絶やさない
人当たりのいい子どもでした。



「つむりくんはいつも笑顔
 元気もらえるわ。
 ありがとうね。」

友達の親やご近所さんに
褒められたその瞬間は
ものすごく嬉しくてたまらなくて

飛び上がるほど
ハッピーな気持ちになりました。

しかし、家に帰ると
そんな幸せはどこにもなく…

いつもは優しいはずの母親が
仕事から帰ってくると
その姿は一変…

1日のストレスを発散するべく
毎日6本もビールの缶をあけ、

愚痴を吐き散らし、
時には乱暴に物を投げつけて
こう叫びます。

「あんたがいるせいで
 どれだけ辛い思いしてると思ってるのよ!」

その言葉が鋭いナイフとなって
僕の心に突き刺さりました。

家の中はいつもピリピリ。

安らげる場所なんて
どこにもありませんでした。

(わがまま言っちゃダメだ…)

(迷惑かけないようにしなきゃ…)

そんな我慢と恐怖で
頭が埋め尽くされ

友達に対しても
とにかく他人の目
気にしながら接するように。

クラスでは
元気いっぱいに「ハイ!」と手を上げて
ハキハキと自信満々で答えるような、

いわゆる”みんなの人気者”とは
まったく正反対のタイプ。

「もっと自分の意見いいなよ」
って言われても、
一体何を言えばいいのかわからない…

他人と違うことが
ものすごく恥ずかしくて
悪いことのような気がして

「つむりはどうしたいの?」

と言われても、

自分の意見が言えない。
そもそも自分の意見がわからない。
自分の意思がない。

だから、
親や先生の意見に
ただただ流されるまま。

進学する学校選びに悩んでいた僕に

「ここなんてどう?」

と先生が薦めてくれたのは
いわゆる普通の高校ではなく、

高専と呼ばれる
技術系に特化した専門学校。

高専を受ける友達なんて
ほとんどいなかったし

(技術系なんて自分にできるのか?)

頭に浮かぶのはそんな不安ばかり。
特に技術系に対する興味も
ありませんでしたが、

「技術系なら将来安泰だし
 お母さんも安心だわ」

そんな母の一言で僕は

(お母さんがそう言うなら…)

流されるまま
高専を受験することに。

親や先生の期待が
過度なプレッシャーとなり、

「絶対受からなきゃ…!」

受験当日。

震える手が止まりませんでした。

緊張で頭が回らない。
でも残り時間は容赦なく過ぎる…

落ちたら親や先生に
怒られる…

(間違えたらヤバい…)

止まらない手汗。
文字がにじむ解答用紙。

周りの受験生が
みんな自分より優秀に思える。

焦りは止まらない…

試験終了を告げる合図に
鉛筆を置き、フラフラになりながら
僕は試験会場を後にしました。

合格発表までは1週間。

今まで生きてきて
一番長く感じた1週間。

(落ちたらどうしよう…)

母や先生に
失望されたくない。

友達もきっと
人の失敗を笑って
馬鹿にしてくるに違いない。

恥ずかしい思いをするのは
嫌だ。

ネガティブなことばかりが
頭のなかをグルグル。

食事も喉を通らない中、
ようやく迎えた合格発表の日。

ドキドキしながら
自分の受験番号を探すと…

「あっ…あったーー!!!」

「お母さん、受かったよー!!!」

「よく頑張ったね、おめでとう!」

その一言で、

(やっと解放された…)

(親の機嫌を損ねずに済んだ)

(先生にも安心してもらえた)

(これで友達に笑われずに済む)

湧いてきた感情は
「受かって嬉しい」ではなく

周りに失望されなくてよかった
という安堵感でした。

周りの目がトラウマになった出来事

そして晴れて高専に入学。

特殊な進路だったので
中学のときの友達とは
離れ離れに。

最初は不安はあったけど
新しい友達もできて

クラスにも慣れ始めていた
ある年の健康診断のことです。

クラスの生徒が番号順で一列に並び、
身長→体重→血圧
と順番にこなしていく中、

他の生徒からの視線が妙に気になり、

(みんなに見られているの嫌だな…)

と思いながらも、身長と体重の測定を終わらせ
いよいよ最後の血圧測定。

後ろに並んでいる友達から
ものすごいプレッシャーを感じる…

そう思えば思うほど
嫌な汗が吹き出てきました。

(あ、、ヤバいかも…)

そんな予感は的中し、
血圧がどんどん上昇。

周りの生徒が次々と終わらせる中
自分は何度もやり直し。

「緊張してるのかなー?」

「深呼吸してもう一回やろうねー」

と言われ、
恥ずかしさで顔が真っ赤に。

(落ち着け、落ち着け…)

と心の中で唱えるも
後ろの生徒が
クスクス笑っている…

心臓の鼓動は速度を上げていき
血圧はさらに上昇。

(さっきよりも高いじゃん…)

「アハハ、緊張しなくていいからねー」

(そんなこと言われても…)

(周りも見てるし、余計緊張する…)

(もうだめだ……)

こんな様子を
クラス全員に見られているという事実。

それだけで息ができなくなりそうだった。

最終的に明らかな異常値となってしまい、
さすがにお医者さんも苦笑い。

自分一人だけ
後日やり直しになりました。

体中の汗も止まらず
とにかく恥ずかしい。

今すぐ逃げたい…

(明日からどんな顔して友達と
 顔を合わせればいいんだ…)

それ以来、人を遠ざけるようになり
自然な会話の仕方もわからなくなった。

すっかり自信も失って内気になり
友達作りもまともにできない僕。

僕は“対人恐怖”
陥ってしまったのです。

「自分に自信がない」が恋愛下手の引き金に

ただ、そんな欠陥だらけの僕のことを
奇跡的に「好き」と言ってくれる人も現れました。

日本語がペラペラのマレーシア人。

僕の日記ブログを見て
声を掛けてくれたのが始まりです。

好意を寄せられること自体は
すごく嬉しかった。

でも…

「こんな自分のどこが良いんだろう…」

「いつか嫌われるに決まってる…」

すぐにネガティブな方向に考え
悲観的に。

それに正直、相手のことは別に
好きじゃなかったんです。

本当はクラスの
別の子が好きだった。

だから
断るべきだった。

なのに、

「自分を好きになってくれる人なんて
 もう二度と現れないかもしれない」

捨てられるのが怖い。

それだけの理由で
本当は好きでもない相手と
付き合う
ことに…。

自分に自信がないから
この関係を繋ぎ止めておかないと
自分の価値がなくなってしまう…

“自分を好きでいてくれる”
という事実だけに
ひたすら依存していました。

言ってしまえば
偽物の恋。

それと対称的に
相手の好意はヒートアップ。

「大学を卒業したら
 日本を出て一緒に暮らさない?」

「日本だと働くのしんどいし。
 海外のほうがラクだよ。」

「大丈夫、色々とサポートはするから。」

たしかに実際
ネットを眺めてると目に入るのは
ブラック企業の辛い体験談ばかり。

卒業して社会人になった先に
楽しい未来は見えませんでした。

それなら「好き」と嘘をついて恋人に依存
日本から逃げ出したほうが
苦労もしなくて済むんじゃないかと。

面接も大の苦手
できることなら就活はしたくなかった。

だけど日本で就職しないなら
就活から逃げられる…!

それはものすごく
素晴らしいアイデアに思えました。

そして何より
自分を好いてくれる人が
目の前からいなくなったら

一瞬にして
自分の価値がなくなるような気がして…

それがものすごく
怖かったんです。

結果、相手のことを好きでもないのに
ズルズルと付き合い続けて5年。

僕は就活から逃げて
流されるまま海外行きを決意。

親や大学の先生には

「日本で就職したら
 海外経験のチャンスが
 なくなるからさ…」

思っていないことを
言って嘘を重ねる

どんどん息苦しくなる…

そうして大学卒業を間近に控え
いよいよ海外というタイミングで

相手の口から衝撃の一言。

「ごめん、もう
 つむりとは一緒にいられない」

「え、なんで…?」

「別の好きな人ができたから。
 今までありがとうね。
 さようなら。」

頭の中が真っ白になりました。

たとえ偽りの形であっても
自分を支えてくれていたものが
一瞬にして崩れ落ちた感覚。

自分の価値を認めてくれる
唯一の大切な存在に
嫌われてしまった絶望感。

少しずつ感情が戻ってきたと思ったら
今度は涙がボロボロと止まらない

「5年も一緒にいたのに
 なんでいきなり別れるとか…」

「サポートしてくれるって言ったから
 日本で就活しなかったのに…」

今から就職先を見つけるなんて無理だし
 この先どうやって
 生きていけばいいんだよ…」

しかし相手の心はもうとっくに
僕には向いていませんでした。

一人じゃ海外に行っても
何もできない。

かといって今さら、親や先生に
「やっぱり海外行くの辞めます」
なんて言えず…

海外に飛び立つ直前、空港で親は
僕を泣きながら抱きしめてくれました

子供の頃の記憶では、
母親は毎晩お酒におぼれていて

僕はひたすら
愚痴の聞き役をしていた。

でも子供ながらに

「自分のために、お仕事
 頑張ってくれてるんだよね」

と気づいてた。

“何不自由ない暮らし”とは
程遠かったけれど

親の涙を見た瞬間、
ここまで育ててくれたことに
感謝すると同時に、

「本当は海外になんか
 行きたくないのに
 嘘をついてごめんなさい…

そんな後ろめたさでいっぱいに。

そして
慣れない異国の地に一人

何の目的もないまま
海外に来てしまったから

辛くてむなしい時間だけが
過ぎていきました。

できるだけ人と関わらず
寝て起きるだけの海外生活を9ヶ月…

「自分は何をやってるんだろう」

「どこに向かってるんだろう…」

「このままでいいのかな…」

貯金も底を尽き、
落ちるところまで落ちた人生

ある日、気持ちの糸がプツンと切れ

「もうそろそろ
 日本に帰ってもいいよね…」

渡航費がなくなる前にあえなく帰国。

いわゆる“普通”の人
学校を卒業して
新卒で就職して

立派に社会人になって
お金を稼いで自立して

将来のパートナーを見つけて
家庭を築いて親孝行して
幸せに生きるんだろうな。

それに比べて自分は…

他人に流され就活もせず
意味もなく海外で引きこもり生活。

お金と時間だけを無駄に消費して、
かと思えば急に日本に戻ってきて、

仕方なく
親の住む一人用のアパートに住み込み
良い大人が親のすねをかじる始末

働く場所はない。

というかそもそも
働く気力がない…

昼過ぎに目を覚ました頃には
親は仕事に出ていて、

僕は寝間着のまま布団の中で
夜中までスマホゲームに依存

気づいたら、
こんなニート生活を3ヶ月
続けていました。

そんな姿を見ても母親は
文句ひとつ言わず、
頑張って働いてくれていた。

「あぁ…自分は一体
 何をやってるんだろう…」

「自分はなんて
 親不孝者なんだろう…」

無力感と情けなさと
惨めな気持ちでいっぱいになり、
さすがに就活を決意。

ただ、一度ニート生活を挟んだため
新卒なら就けるような正社員の仕事はなく
求人は派遣のみ…

「でもとりあえず母親を安心させないと…」

「これ以上迷惑はかけられないし…」

多少条件が悪くても、
まずはちゃんと仕事をもらって
動き出すことから始めました。

社会人1年目。そこで知った社会の闇とは…

ニート生活を経て
ようやくスタートした社会人生活。

派遣という立場だったので、
ただの作業員で
奴隷のような扱いを受けていました。

朝の8時に出勤し
夜の22時まで働く残業生活
日常茶飯事。

もらえる給料は
月の手取りでたったの14万円

家賃や食費を引くと
貯金なんてほとんどできません

そして何より
初めて経験した職場という
異様な空間に対する違和感…

社員のデスクが並ぶフロア。
そこにはざっと60人はいたと思いますが、

そのフロアにはボスがいて
部下を一人一人呼び出して
こう怒鳴りつけるのです。

「お前はそんなこともできないのか!」

「だからお前はダメなんだよ!!」

「おい、俺の話をちゃんと聞け!」

しかも
みんなが見ている前で

まさに公開処刑です。

(今度は自分が怒られるかもしれない…)

そんな恐怖に毎日さらされて
本当に頭がおかしくなりそうでした。

昼休憩も聞こえてくるのは
誰かの悪口や不平不満ばかり。

有休を取ろうと上司に相談すれば、

「え、なんで休むの?」

他の人は頑張ってるだろ!」

「ていうか自分の立場わかってる?

有休すらまともに取れない
社会独特の理不尽さに

入社してわずか半年。

「こんな環境、もう耐えられない…!」

僕は生まれて初めて自分の意思
“逃げること”を選択しました。

でも…

せっかく入った会社なのに
辞めるなんて言ったら
親に泣かれてしまうかもしれない。

他のみんなは逃げずに頑張ってるのに
自分だけ転職するなんて言ったら

“ずるい”とか“弱いやつだ”
陰で言われるかもしれない。

さまざまな考えが頭をよぎりました。

それに、会社を辞めたら
また次の仕事を探さなきゃならない。

良いところなんて
1つもなかった僕にとって
採用面接は苦痛でしかありませんでした。

それにもし転職できたとしても
またゼロから新しい環境で人間関係
始めていかなきゃならない。

考えただけで嫌になりました。

それでも
今のまま我慢するよりは
マシ
だと思った。

そもそもこれ以上
この会社にいたら
潰れるのは時間の問題。

せめて次の会社では
今よりいくらか健全で
人並みの毎日を送りたい…

そう願っていたから
会社選びはかなり慎重になりました。

幸い、僕がこれまで学んできた化学分野で
研究職として雇ってくれる会社があり、

ネット上の口コミも
悪くなさそうだったので
受けてみることに。

ただ、転職活動に使うエネルギーは
相当なもの
でした。

まずは履歴書や職務経歴書の作成。

その後は、僕の苦手な地獄の”面接”

「卒業してから海外で何してたの?

「海外経験後、なんでウチに興味を持ったの?」

イヤイヤ海外に行ってしまったので
海外経験を活かせる志望動機なんてなく…

「立派なことを答えなきゃ…」

と意識するほどしどろもどろになって
ボロボロな結果に。

終わった後はネガティブになって
自分を責める。

それでもなんとか運良く
内定を勝ち取り、
その会社への転職を決断。

とりあえず現状の
最悪な環境から抜け出すべく
新たなスタートを切りました。

転職し新しい環境に踏み出すも、そこで待っていたのは…

転職先の会社は幸いにも
1社目と比べると
かなり健全な環境でした。

  • 有休が取りやすい
  • ハラスメントに厳しい
  • 残業も比較的少なめ

世間で言うところの
いわゆるホワイト企業

ただ…

世間の基準と自分の基準は
違っていて…

チームで仕事を進める場面が多く、
人とのコミュニケーションが密だったことが
ものすごくストレスに感じました。

  • 苦手な人がいても決して拒否できない。
  • 嫌でも関わっていかないといけない。

「それが仕事だから…」
と周りの人も諦めていました。

社内会議や
取引先との打ち合わせなど
自分の意見を求められる会議も多く、

自己主張ができない僕にとっては
ただただ苦痛でしかなかった。

意見を言わなければ
「お前は中身がない!」
と否定され、

勇気を振り絞って
意見を言ってみれば
何かとケチをつけられ

何でもいいからストレス解消したいだけの
自称・お偉いさんが口を挟んできます。

研究職というのはやっかいなことに
プライドの高い人がやたらと多いので、

些細なミスばかり指摘しては
こちらを悪者扱いしてきたり、

とにかく論破して他人を見下し
自分が優位に立ちたい人ばかり。

おかげで僕のメンタルは
ボロボロでした…。

協力してこなすべき仕事なのに

「は?もう、勘弁してよ…」
「そんなのも自分で出来ないの?」

嫌味を言われ傷つく日々。

「なんで自分が怒られるんだよ…」

「そんな言い方しなくてもいいのに…」

「自分ってやっぱり嫌われ者なのかな…」

そう思いつつも
何ひとつ言い返すことができず、

毎日イライラとモヤモヤが
溜まっていくばかりでした。

そんなある日のこと。

新入社員の歓迎会が行われました。

僕は入社2年目だったので
新入社員を歓迎する側の立場。

正直、大勢での飲み会は大嫌いでした。

リフレッシュどころか
ストレスが溜まるだけだから。

でも”みんな参加するもの”という
暗黙の了解があったため断れず
仕方なく参加することに…

しかしこれが
地獄の始まりだったのです。

会の前半は
できるだけ目立たないように
ふるまっていましたが、

後半になると
地獄の自己紹介タイム
唐突に始まったのです。

どんな面白い一発ネタを披露して
みんなを笑わせようかと
周りはワクワクモード。

一方、僕は…

何か面白いことを言わなきゃ人間失格
と言わんばかりの空気に
頭の中はパニック状態

(そもそも僕は元から
 そんなキャラじゃないし…)

と、そうこうしている間に
自分の番が迫ってきます。

(どうしよう。やばい…やばい…!!)

体中の汗が止まらない…

周りはガヤガヤしているのに
自分の心臓の鼓動だけが
うるさいくらいに聞こえました。

この状況からいかに逃げ出すか
頭はフル回転。

タイミングよくトイレに逃げて
やり過ごすか?

それとも
「急に帰る用事ができた」
とか言って抜け出すべきか・・・?

そうこうしているうちに
とうとう来てしまった自分の番。

(もうダメだ、おしまいだ…)

そう思い、
この世の終わりのような顔をしながら
何とか立ち上がるも、

みんなの視線が一気に自分へ向けられ
僕は一瞬にして頭が真っ白に…

向けられた視線はやがて
クスクスという笑い声に変わり、

「あれ、もしかして緊張してる?w」

そんな声が聞こえてきます。

(恥ずかしい…)

(今すぐ逃げ出したい…)

(もう消えたい…)

会が終わった直後も、友達に
「別に全然緊張とかしてなかったし!」
なんて強がってましたが、

さすがに二次会に行く気力はなく
フラフラになりながら帰宅。

帰宅後は部屋にこもり、
脳内でひたすら一人反省会。

「あのとき絶対ヘンに思われたよな…」

「ちゃんと自己紹介考えておけば…

恥ずかしくてもう会社行けない…」

「今も二次会で笑われてるんだろうな…」

「他の人なら普通にできることが
 どうして自分にはできないんだろう…」

周りの人は何も悪くないのに
他人を恨みました。

仮病で会社を休むことも増えました。

このままだと
きっとこの先の人生ずっと
笑われて恥をかくことになる…。

「そんなのは絶対に嫌だ…」

夜の部屋で1人、
泣きながらいじける僕の口から
そんな心の声が漏れ出していました。

次の日から僕は、
他人の視線を感じるだけで
手や体がガタガタと震えて止まらない。

「フラスコを持つ」とか
「電話の対応をする」ことさえ
まともにできなくなっていました。

化学の研究職をしていたので、
フラスコが持てなければ
仕事に支障をきたします。

フライパンを握れない料理人が
レストランをやっているようなものです。

そんな様子を
もし誰かに見られてしまったら

「なんで手、震えてんの?大丈夫?ww」

と馬鹿にされるに決まってる。

周りの人にも広まって
会社中で噂が広まって

笑いものにされるに違いない…

本当なら、

社会人として生きていくためには
今の会社でうまくやっていくしかなかった。

会社はこの先30年以上
働き続ける場所。

失敗は許されなかった。

それなのに結局うまくいかず、
会社での居場所を失ってしまった僕。

(この会社にはもう長くはいられないな…)

と思いました。

周りからみたら
いわゆるホワイト企業。

でも自分は
ホワイト企業にすらなじめない
出来損ないの社会不適合者。

「もうどうにでもなれ…」
とすべてを投げ出してしまいたい気持ちと、

「どうにかしないと…」
必死の抵抗を続けようとする気持ちが
せめぎ合っていました。

しかし現実を見れば、

生活するためには
仕事を続ける以外の選択肢がないのは
明らかだったので、

とりあえず病院に通って
薬を処方してもらうことに。

その結果、
不安になりそうな場面の前に
あらかじめ薬を飲むことで、

手の震えはそれなりに緩和され、
仕事をなんとかこなすことはできた。

でも…

不安を抑える薬を飲んでいるなんて
周りに知られたら広められて
会社の人みんなにバカにされる…

それが怖かったので、
絶対に見つからないように

決まった時間に会社のトイレに行き、
コソコソ隠れながら薬を喉に流し込む。

そして帰宅後は
死んだように倒れる毎日。

そう。

服薬はその場しのぎ
でしかありませんでした。

薬を飲み続ければいつか治る
なんてことはなく、

この先も生きていくには
薬漬けになるしかなかったのです。

頑張って生きてるつもりなのに
嫌な経験が積み重なるばかり。

そんな生き方は終わりにしたい。

もう恥ずかしい思いはしたくない。

人前でも堂々と
振る舞えるようになりたい!

周りの人みたいに
せめて人並みに生きたい…!

そんな思いをモチベーションに僕は
ストレスなく生きる方法
ようやく真剣に調べ始めました。

チャレンジと失敗

根本的に解決しないと何も変わらないと思い
まずは情報集めから始めました。

とりあえずYouTubeで
メンタル系の動画を探すことに。

「仕事 辛い」
「コミュ障 治したい」

といったキーワードで検索し
見つけたのは

メンタリストDaiGoや
多くの心理学に関する動画。

世の中には、
状況を好転させる
ための方法や考え方のコツが

こんなにたくさんあるのかと
初めて知り衝撃を受けました。

「今からでも学んでいけば
なんとかなるかもしれない…!」

そんな前向きな気持ちが
芽生え始めたのです。

メンタリストDaiGoの動画で
紹介されていたのが、

8日間で不安な気持ちが緩和する
エクスポージャーと呼ばれる方法。

そもそもの原因として、
不安感が強まるのは
他人の目が気になってしまうから。

そこで、
わざと恥ずかしい行為を経験して
日常の不安感や恐怖心に慣れていく。

というものでした。

例として挙げられていたのが、

  • あえて人が多い路上でドラえもんやアンパンマンの曲を大声で歌う。
  • レストランで知らないグループに声をかけ「すみません、ちょっと結婚式のスピーチの練習を聞いてもらえませんか?」とお願いしてみる。
  • コンビニに駆け込み、自分の顔を指差して「この顔見なかったか?!」と言い、店員さんがキョトンとしたら「バカモン!そいつがルパンだ!!」と叫ぶ。

どうやらこのように
大きな失敗経験を積んでいき、

ふだん身に起こる程度の
小さな失敗に対する耐性を上げることで

しだいに他人の目が気にならなくなり
不安を感じにくくなるのだそう。

しかし…

これを実践する自分を
想像しただけで
吐き気がしそうになり

体が完全に拒否反応
示していました…。

ただでさえ恥ずかしいことが
怖くてたまらなかった僕にとっては

さらに恥ずかしいこと
自分から経験しにいくなんて無理だ…

結局何もできない自分を責めてしまい
かえって状況は悪化…。


そうして完全にネガティブなループに
陥ってしまった僕を
利用しようとする人も現れました。

「あいつに頼めば
 何でもやってくれるんじゃね?w」

そうして余計な仕事をどんどん増やされ
イライラは募るばかり。

(こんなに頑張ってるのに…!)

(もう嫌だ、疲れた…)

努力さえすれば
きっと上手くいくはずーー

そんな期待もむなしく
まったく思い通りにはいきませんでした。

「どうせ自分には
 幸せなんて言葉は似合わない

「この先もこうやって一生
 苦しさに耐えるしかないんだろうな…」

そんな運命に絶望を感じていました。

心穏やかな人生のきっかけ

「そもそもこんなにツラいのは
自分だけなのかな…?」

そんな疑問がわいて
始めたのがTwitter。

ネガティブなことも構わず

ありったけの気持ちを
文字にしてみました。

すると、驚くべきことに

「その気持ちわかります…!」

「私も同じことで悩んでました!(泣)」

といったコメントが
少しずつ増えていったのです。

「自分だけじゃないんだ…!」

でも、どれだけ共感を得られても
それはただの傷の舐め合いで、
根本的な問題が解決するわけじゃない。

そう薄々感じていたタイミングで
Sさんという方の発信が目に留まりました。

ブログに目を通すと、

Sさんはもともと
通信制高校の先生として
働いていた方とのこと。

生徒から心ない暴言を浴びせられ
おまけに1日12時間の長時間勤務で
労働環境は最悪。

それでも
「頑張らなきゃ…」
と我慢して耐えるも

ある日ポキッとメンタルが折れ
過労で倒れて病院送り。

心に限界が来て
生きる意味がわからなくなった
とのこと。

その後Sさんは
家族に泣かれてまでして
安泰な公務員としての人生を辞め

フリーランスとして自由に生きる道
選んだそうです。

衝撃でした。

僕は子供の頃から親や先生に言われるがまま
良い学校や会社に入ることを求められ

その”普通”というレールから外れたら
人生はおしまいなんだと
思っていました。

でも、Sさんは
レールから外れたことを
悲観的に思うどころか

「大人の今が一番幸せ」を体現するように
“自分の人生”を生きていた。

「”周りがどう思うか”よりも
 “自分がどうありたいか”

そんな自由に、自分中心に
生きていいのかと。

でも、Sさんの生き方を見ていたら
もっと自分の幸せを優先していいんだ
って思えたんです。

親や先生を失望させないために
がんばって嫌な受験勉強してきたけど、

それって本当は
自分の幸せじゃなくて、

周りの目を気にして
他人が勝手に描いた理想の人生
なぞっていただけ。

化学の道に進んだのも
親の希望や意見に流されただけで、

そこに自分の意思は
1ミリもありませんでした。

「周りがそう望むならそうしなきゃ」

「だってそのほうが嫌われないから」

「良い子」であり続けるには
自分を演じるしかないと思っていました。

学生時代に
恋愛がうまくいかなかったのもそう。

好きでもない人と付き合い続けたのも、
自分が好きだからとかじゃなく
ただ相手に嫌われたくなかったから。

社会人になってからは

先輩や上司から
「30越えたのにまだ結婚しないの?」
と言われたり

同僚や後輩が
つぎつぎと結婚していくのを見て

正直焦りを感じてた。

でも、

「今の時代、結婚って本当に幸せ?

「自分の心は本当に結婚したいと思ってる?

自分の胸に手を当てて
よくよく考えてみると
自分の本音は違ってた

“世間の当たり前”だからとか
周りに流されてとか

そういう自分の意思がない選択は
人を不幸にするのだと。

だから、他人の目を気にして
「嫌だな…」と思うことを
無理して続ける必要なんてない。

働き方だって、
自分の幸せの形に合わせて
自由に選べばいい。

今の環境が合わないなら
きっとそこは居るべき場所じゃない

嫌なことに耐えるとか
苦手を克服しなきゃとか
そんな人生はしんどいだけ。

なら辛いことからは逃げて
自分に合った生き方
見つければいい。

たしかに子供の頃は
親や先生の言いなりで
過ごすしかなかった。

でも今は違う。

年齢的にはもう大人なんだから
わざわざ親に行動の許可を
取る必要なんてない。

縛られるものは何もないのだと。

そのことに気づくまでに
ずいぶん長い時間がかかりました。

「他人が望む人生を送っても
 自分が消耗するだけ」

「周りや世間の幸せと
 自分にとっての幸せ
 まったく別物」

「自分の幸せはいつだって
 自分の心が決める

シンプルなことかもしれないけど、
僕は長い間、それができなかったのです。

よくよく調べてみると、
幼少期に過ごした環境が原因とのこと。

子供の頃は
他の子の家庭の雰囲気なんて
わからなかったから

自分の家庭が正常なのか異常なのか
判断できるわけもなかった。

目立った暴力虐待を受けたわけじゃないから
むしろ「正常なほう」だと思っていた。

でも思い返せば、

家の中はいつもピリピリしていて
親の苦労をそばでずっと見ていた。

そんな毎日が実は
ものすごく大きなストレスとして
溜まり溜まって、

心配をかけまいと
自分らしさを押し殺し、
他人の目ばかりを気にする体質に…

失敗することに対して
異常なほどの恐怖を感じるようになり

気づけば
何もできないからっぽの自分
できあがっていました。

  • 本当は嫌でも頼みごとを断れない
  • 未経験のスポーツにもチャレンジするのが怖い
  • 「うどんよりラーメンが食べたい」すら言えない

こんな小さな一歩ですら
その失敗が怖くて、勇気が出なくて
足がすくんでしまう。

自分の発言に周りはどう思うか
気にしすぎて疲れてしまったり。

思い通りにいかないことで
ひどく落ち込んでしまったり。

笑われて恥をかきたくないから
知ったかぶりをしてしまったり…

本当は
他人の期待に応える必要なんてないのに。

「他人はああ言ってるけど
 自分はこうしたいからこうする。」

そのくらい自由でいいんだって
気づいたんです。

大人になった今、
「こうすべき」なんて縛られる必要は
一切ない
んだな、と。

生きづらさを克服しようと
心理学をいくら学んでも心が折れ
メンタルは落ちる一方だったのに、

“自分軸の考え方”を足していくことで
心穏やかでいられる自分
変わっていったのです。

しかも、周りの目を異常に気にして
他人を自ら遠ざけていた頃と違って、

人との関わり方もマイルドになり、
仕事で困ったことがあれば
周りが快く手を貸してくれます

以前は「迷惑かな…」と気にしすぎて
頼み事をするのも怖かったけれど、

「ちょっと教えてほしいのですが〜」
気軽に人を頼れるようになりました。

こんな小さなことの積み重ねだけれど、
自分にとってはものすごく大きな成長

1日8時間以上の苦痛だった労働時間も
不思議とストレスフリーに。

「できないことがあってもいい」

「他人と違っても構わない」

「自分には自分の生き方があるんだ」

そう自然に思えるようになっている自分に
ふと気づいた瞬間、ようやく

「あれ、いつのまにか
生きづらさ克服してるじゃん…!」

と実感できたんです。

ちゃんと自分の意見
持てるようになり、

イヤイヤ残業を引き受けて
消耗する毎日からは脱却。

休日は休日らしく
自分の時間を満喫することが
できています。

僕はストレスを感じると
すぐ肌荒れしてしまうのですが、

今ではニキビができる頻度も
圧倒的に少なくなりメンタル安定

そのおかげで、
自分に自信を感じながら
他人と接することができるように。

今では本業をしながら
プラスアルファで在宅ワークにも
挑戦しています。

毎月ギリギリの生活だと
どうしても心に余裕がなくなってしまうもの。

そこに在宅ワークの収入をプラスできれば、
「自分はこう生きたい」という幸せの形を

もっともっと充実させるための
お金と心の自由を得られる。

僕はもともと
何のスキルも才能もない
ただの平凡な会社員

でもこうして
文字を書くことなら
誰にでもできると思い、

ネット上の記事を作る
Webライター
挑戦してみることに。

完全未経験だったので
不安はもちろんありましたが、

「仕事の手が足りない人」と
「仕事を求める人」を繋ぐ
クラウドワークスにまずは登録。

自分のできそうな仕事から
少しずつ引き受けていったところ

活動開始わずか3ヶ月でなんと
月収10万円を達成。

5ヶ月目には70万円を超え
クラウドワークスの実績ランキングで
ライター部門の週間2位にランクイン。

自分でも驚きでした。

今まで知らなかっただけで、
こんな世界があるのか…と。

生活をアップグレードできるだけでなく
誰かの役に立ち感謝されるので
やりがいや喜びも感じられる。

それに
相手とのやりとりはチャットのみなので
煩わしい人間関係は一切なし。

関わりたくない人と
無理して関わらなくていいのは
かなりストレスフリーです。

僕は基本インドア派なので
こういう生き方もいいな、と。

こうした気づきを得られたのも
「自分はこうしたい」を諦めずに
一歩踏み出せたのがきっかけ。

自分に合った働き方や生き方
自分で見つけていけるもの。

「こう生きたい」という
自分の欲求があったからこそ
今、“楽しい”を叶えられています。

例えば、

好きなものを好きなだけ
躊躇せずに頼める”幸せ”
(お寿司大好き。とろける美味しさでした。)

遠方からのディズニー旅行
思いっきり満喫。

大好きなミスチルやスピッツの
ライブに好きなだけ参戦できる”幸せ”。
(チケット当たれば)

母親の病気の治療費もなんなく払えるように。

母親の笑顔を見る回数が増えました(^^)

いろんな「こうしたい」が実現すると
“やりたいこと”はどんどん広がっていきます。

例えば、

僕は猫が大好きなので、
猫に囲まれた生活がしたい
という次の幸せを目指しています。

「自分の幸せってなんだっけ?」を追求する

そのために自ら動き出す勇気を
手に入れられたことで

30代にしてようやく
自分が楽しいと思える人生
スタートラインに立てています。

何を幸せに思うかは
みんなそれぞれ違うけれど、

幸せを感じながら生きている人に
例外なく共通しているのは

“自分らしく生きていること”

幸せの基準を他人に委ねず

「”自分にとって幸せな生き方”
 ってどんなだろう?」

これをつねに追い求めていくことが
他人に振り回されず
ストレスフリーに生きる道です。

僕の場合は、

  • やりたくない仕事はやりたくない
  • お金に困らずメンタルの安定した生活がしたい
  • 気の合う人とだけ関わって生きたい

こんな感じで、自分の心の奥底にある
ストレートな欲求を言葉にしてみてください。

1つの欲求を満たしたら
また新たな欲求をアップデートする。

そのくり返しで
ストレスのない理想の人生
いつの間にか叶っているもの。

嫌なことやつらいことに
ガマンしたり耐える人生じゃなく、

自分の理想や幸せを追求し
心穏やかな生き方を叶える。

ぜひあなたにも、
その最初のステップ
踏み出してほしいなと思います。

また、このブログには
僕自身の体験や知識をもとに

心穏やかに生きるための考え方やコツ
僕自身が忘れないように
備忘録として残しておくので、

ぜひ役立ててもらえたら嬉しいです(^^)

ではでは、こんなに長い記事を
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

つむり

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